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デニス・ホッパー 狂気からの帰還

  • キクチテッペイ
  • 2017年2月7日
  • 読了時間: 3分

先日、デニス・ホッパーについて記事を綴らせていただきましたが続編です。

『デニス・ホッパー 狂気からの帰還』

代々木上原 美容室 美容院  DENALI HAIR 菊地哲平

デニス・ホッパーは徹底したアウトサイダーであり反抗的人間であり、そしてロマン的苦悩をかかえた芸術家だったそうです。

”クレイジーで危険なトラブル・メーカーだった。

自分のなかに過剰な情熱や欲望を抱え込み、それをコントロールすることができなかった。

知的で繊細な野獣だった。”

普通こういう”規格はずれ”の人間は自滅したり夭逝たりして忘れられていくのでしょうが、デニス・ホッパーは、これだけの苦悩を克服して生き残ることに成功しました。

ジェームズ・ディーンは自動車事故で死んだ。

モンゴメリー・クリフトは次第に忘れられて消えるようにして死んでいった。

しかしデニス・ホッパーは地獄から生還した。反逆児ホッパー世界初の伝記です。

前にも彼について綴らせて頂きましたが、こんなにも反逆的でアウトローで魅力的な男はそうそういないと思います。

この本には、メイジャーな世界で仕事をしながら、五十をすぎてもそこに安住せずに、その世界をたえず異化しているというのは、至難の技で。

『イージー・ライダー』でカウンター・カルチャーのヒーローになったデニス・ホッパーは、今年(一九八九)五十三歳だが、彼の演技と映画作りは、ますますスゴ味を増している。

全米のテレビを電波ジャックしてファシストの大統領候補を失墜させてしまう『アメリカン・ウェイ』の海賊テレビのリーダー役は、ほとんどホッパーの地をいっていたし、彼が監督した『カラーズ/天使の消えた街』は、少年ギャングたちのすさまじい世界をどぎつく描きました。

ホッパーの仕事と生活を詳細にたどった本著『狂気からの帰還』(によると、すでに十八歳の彼が、テレビ・シリーズのためのオーディションで「てんかん患者」の演技をしたとき、演出家は、「バカな仕出し屋が本物のてんかん患者を寄越したのだと思いこんだ」というが、彼は、子供の頃から狂気と暴力の淵をさまよってきた。 彼のモットーは、「嘘をつかず、やりたくないことは何もやらない」ことだという。

この本にはには、それをやり抜くために彼が払った数々の代償のエピソードが記されています。

そんな彼も、2010年5月29日、前立腺ガンの併発症でロサンゼルスの自宅で死去。

生前、ハリウッドの殿堂「ウォーク・オブ・フェーム」入りを果たし、記念式典には半世紀近くにおよぶ長いキャリアで共演した仲間らがかけつけたそうです。

その際、彼は、「人生で学んだことはすべて、わたしが旅をしてこの目で見た世界と、そして君たちから教わった。まあ、つまり君たちから全部もらった。ここがわたしの家であり学校だった。君たちみんなを愛してる。ありがとう。わたしには本当に大きな意味のあることなんだ。ありがとうみんな」と語りました。

”ハリウッドの反逆児”、デニス・ホッパーが語るにはあまりにも優しく感謝にあふれる言葉だったと思います。

代々木上原 美容室 美容院  DENALI HAIR 菊地哲平

この言葉の重み、彼が半世紀にわたりハリウッドで生き、生まれながらにしてアウトローを地で行った彼だからこそ言える本音だったのかもしれません。

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